絵を極めたいな
いつでもどこでも、最高の絵が描けるくらいに
そしたらさ、地獄に落ちても耐えられる気がする
地獄にだって書くものくらいあるでしょう
絵を極めたいな
いつでもどこでも、最高の絵が描けるくらいに
そしたらさ、地獄に落ちても耐えられる気がする
地獄にだって書くものくらいあるでしょう
誕生日はいつもより派手に過ごしたい。
その一心で新宿➡下北沢➡渋谷を回りました。
新宿へ行った目的はただ一つ。世界堂へ行くためです。
欲しい画材があったわけではないのですが、あこがれの地だったので行きました。
JR新宿駅に到着してホームに降りると、東南口への行き方がわからない。構内に貼られた地図を見たとてわからない。これが新宿ダンジョンか。
新宿ダンジョンの洗礼を受け、東南という微妙な方角が許せなくなってきました。
世界堂で何か買おうとフラフラしていると、筆コーナーにたどり着きました。一昨日、神様に「持っている筆が泥まみれだからあなたは絵が描けなくなっているんだ」と怒られる夢を見たので筆を買おうかと思いましたが、これからもデジタル絵でゴリ押すつもりなので腐らせてしまうと思って買いませんでした。
スケッチブックコーナーを見ました。表紙に紺の布が貼ってある卒業証書ホルダーみたいな水彩画用スケッチブックを買いたくなりました。説明用ポップに書かれていた情報にピンと来なかったので、まだ買うタイミングではないと思いやめました。
額縁コーナーを見ました。今後、作品を展示させてもらうときのためにしっかりと見ました。今まで額は100均の物しか使ったことがなかったので、画材屋にそろえてある額の額に驚きました。……やかましいか。
下北沢は好きです。物静かだけど各々が好きに生きているような空気を感じるので、行くと私も好きに生きていいのだと思えて元気が出ます。
特に目的があったわけではないので南西口から出ました。新宿の東南口に引きずられました。
南西口から踏切の方向へ歩いていくと、ヴィレッジヴァンガードのハンバーガー屋がありました。ハンバーガーを食べる気分ではなかったので通り過ぎただけでしたが、めちゃくちゃ気になったので次は腹を空かせて下北へ行きます。
下北沢のヴィレッジヴァンガード、いいですよね。ジャングルみたいで。超落ち着く。最近は赤字が拡大しているらしくて心配です。以前、絵を描くのはやめるつもりでいたときに下北のヴィレッジヴァンガードに行って、ここに私の絵を置きたいと思って絵を描くのはやめるのをやめたので、耐え忍んでほしいです。
フラフラ歩いてると古着屋があったので入りました。胸元にたくさんの人形がついているセーターが置いてありました。あのセーターをオシャレに着こなせる人類おるんか。いたら教えてください。尊敬します。
今まで自分が古着を着こなせるイメージが湧かなかったので無駄に怖がっていたのですが、いざ入って鏡の前で服を合わせてみると意外と馴染んでる気がして面白かったです。今度は買いに行きたいな。
京王線の下北沢駅が可愛くて入りたかったので渋谷に行くことにしました。
前日にSnow Manが6年4組渋谷分校でご飯を食べている動画を見ていたので、晩御飯はそこで食べることにしました。
6年4組は小学校の給食をモチーフにした居酒屋で、内装、小道具、料理いずれも懐かしくて楽しかったです。店内のいたるところでSnow Manがプッシュされていました。ありがてぇありがてぇ。
しばらく時間を過ごすうちに、自分がいかに学生時代の記憶を美化していたのかをまざまざと思い知らされました。あのクソ硬い椅子に6時間も縛りつけられていたのは正気の沙汰じゃない。中学生のころからずっと腰椎分離症と椎間板ヘルニアの腰痛役満だけど、ちゃんと治らなかったのはあの椅子のせいじゃないか? もっと普通にクッション性のある椅子を用意してくれ。頼む。防災頭巾じゃ腰の健康は守れない。
幼少期の思い出はともかく、揚げパンと明太子チーズ卵焼きがとてもおいしかったです。お通しの駄菓子食べ放題は天才の所業です。自分で選んで食べる駄菓子は健康にいい。
また行く機会があれば、チューハイを頼もうと思います。
渋谷のヴィレッジヴァンガードに行きました。下北沢の店舗に比べて整頓されすぎている気がします。
渋谷のタワレコに行きました。8階のSixTONESの特別展示目当てです。先日SixTONESのファンクラブに入ったばかりのウキウキ新規なので、どデカイ垂れ幕にテンション爆上がりでした。
やっぱりデカイ展示物って最高。
梅津瑞樹さんのポップアップストアがありました。梅津さんのブースを見た瞬間に突進しました。初めてチケットの取れた刀ステが慈伝だったのを思い出したからです。
ファンの方が応援メッセージを書くためのデカイ紙の中心に「なかば外国人のラクガキスペースと化したメッセージボードへようこそ!」と書かれていたのがとても良かったです。
そのほかにもVIVANTの衣装展示がありました。
阿部寛の衣装がデカかったです。
世界堂のインパクトが強かったので正直あんまり覚えていません。なんだかんだ楽しかったです。
以上が、おひとり様誕生日で巡ったスポットです。公共交通機関が発達してくれているおかげで結構回れました。自分の好きなところを駆け足で巡る充足感、たまらん。
「歴代最低の映画監督」と呼ばれたエド・ウッド。
彼の映画の出来が、一義的には「最低最悪」であることに異論をはさむものは少ない。彼が再評価されたのは、最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というよりも評価対象以前だった)にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意や、ほとばしる情熱を最後まで失わなかったためである。これをもって「ハリウッドの反天才」「芸術の突然変異」との称号(?)で称されることもある。
などとウィキペディアに書かれているような監督です。ユーモア欠乏症のウィキペディアンがここまでおもしろい悪評を垂れ流すのも珍しい。相当だな。
さて、ティム・バートン監督のエド・ウッドに話を戻します。エド・ウッドには女装癖があったらしく、映画内ではエドを演じるジョニーデップの女装がたびたび登場します。
顔立ち、肩幅の広さ、筋肉のライン。どれをとっても雄々しいジョニー・デップと、やわらかなピンクのセーターとのミスマッチが奏でる不協和音から目線が外せなくなる感覚がたまらんすぎる。
女装とはかくあるべきだと思うのです。
女装は男性にしかできない最も男らしい行為という言説がありますが、全くその通りです。
男性と女性の一番の相違点は体つきにあります。
男性は大きく直線的なシルエットにダイナミックに大きく動く関節が特徴的です。一方、女性は曲線的でしなやかなシルエットと、みずみずしく儚い関節を持っています。
男性が女性の服を着るとき、女性のしなやかさを引き出すための服が男性の直線的なシルエットを露骨に浮かび上がらせるので生々しく、異様な艶めかしさが表出する。さらに男性の顔が美しいと、首から下の異様さがマイルドになる。
そういうカタルシスがイケメンの女装にはあります。
まあ要するに、ジョニデしか勝たん。
目。人物のバストアップイラストを描くうえで、一番大切な部位なのではないでしょうか。「目は口ほどにものをいう」という諺があるように、音や言葉を使わずに感情を表現したいとなれば、目に情報を詰め込むのが一番効果的なように思います。
さて、イラストで目を描くときについて、このような考え方があることを知りました。
Joさんのこの記事では、医学的な目の構造に基づいて「瞳孔に奥行きがある」と説明し、奥行きを理解しながら目を描くと目線が合う絵が描けると述べられています。
イラスト付きの解説が大変わかりやすく、赤べこのように頷きながら記事を読ませていただきました。
この「瞳孔に奥行きがある」という情報を検証するために、こちらのイラストを描きました。
さて、このイラストの瞳孔を二通り描いて奥行きあるなしの違いを検証していきますが、この絵の場合、違いはこんなものです。
本当に微妙。多くの人は「どっちでもええわ!」と叫びたくなるでしょう。ぶっちゃけ、私も他人から「どっちがいいと思う?」って聞かれたら結構でかい声で「どっちでもええわ!」と返すと思います。
そんな苛立ちを抑えて観察してみると、左の意識なしのほうには、カラーコンタクト装着時の違和感に近いものが若干ありますが、目線の先のほうを集中して見ているような印象を抱きます。一方、右のほうの目には、目線の先を見ているようでこっちの様子を伺っているような印象受けます。
個人的には、右のほうが情報量が多いような気がして好きです。
瞳孔を目の楕円の中心よりわずかにずらして書き込むことで、確かに表情が生まれたような気がしてハッピーになりました。目の描き方はこれで固定しようかと思ったのですが、一つ思うことがあります。
もっとキラキラした目が描きたい!
今回描いた絵は悪くないのですが、もっとわかりやすいキラキラ感が欲しいところです。
1年前は、キラキラした目を描きたいなら目を記号としてとらえて、目の部分に宝石のような光の反射を描けばよいと考えていました。そこで描いたのが、こちらのイラストです。
私はこの絵をヘッダーとして選ぶくらい気に入っています。また、『推しの子』でカリスマ性を表現するために目に星を描いているのを見ると、目を記号として捉えるのはアリなので、このやり方で突き進んでもよい訳です。
しかし、よく考えてみたら、『推しの子』はストーリでキャラクターの人間らしさと星の目の必然性を説明しているからこそあの目の表現が成り立っているのです。それを、ストーリー構成力のない人間が真似しても同じ効果を狙うのは無理でしょう。
また、人間の目は宝石という枠組みで縛るにはもったいないほどの多様性があります。同一人物の「愛おしい」という感情の目元でさえ、相手が親なのか我が子なのか、恋人なのか友人なのか推しなのか、ルックスが好みなだけの他人なのかによって全く違う色を宿しているように見えます。
人間関係や抱く感情は時間経過に伴って変わっていきます。そんな時間経過とともに移り変わる儚い自然現象を、不変・永遠を象徴する石と表現するのはおかしな話です。
より良い表現を模索するために生きた人間の目を観察をしようにも、目が輝いてるように見える瞬間なんぞ一瞬過ぎて直感的にしかとらえられません。さらに、他人の目をじっと見つめてたら明らかに不審です。まじまじと目を見てたら確実に怒られます。明らかに目の前に現象が起こっているのに、じっくり観察できず、写真にも残らず、本人に再現してもらうことも叶わない。これにはもどかしさを通り越して憤りすら感じます。
さて、これ以上考え続けると思想が強くなりすぎるので、ここらで締めようと思います。
結局、目ってどう描けばいいの~~~!??!
藤水です。
最近は秋も深まってきて、街中でハロウィンの装飾を目にする機会も多くなってきました。
2022年の今頃、アルバイトしていたミニストップでハロウィンのイラストを飾らせてもらったのを思いだします。
掲示していたのはこちらのポスターです。
きっかけは、一緒に組んでいた方の「せっかく絵が描けるなら、店内に掲示できないかオーナーに打診したら?」という一言でした。
そこで、翌日にこちらのラフをもってオーナーに打診したところ、速攻OK。
店内に掲示させていただくことができました。
こんなかんじで。
この時まで人に絵を見せる機会はあまりなかったのですが、絵を見たお客さんの反応が見れてすごく楽しかったのが思い出に残ってます。
このころの気持ちを忘れないように、これからも絵に取り組んでいきたいです。